田原FCでの8年間・・・

アグレミーナ浜松飛び級Fリーグ昇格というビックニュースから
一ヶ月・・・ほど経過
2012年3月いっぱいで「田原FC」の歴史が幕を閉じ
これから先は、アグレミーナ浜松として生まれ変わり、
新たな歴史を築いていくことになる。
努力と度胸と協力と行動・・・
成功と失敗と不安と高揚・・・
挑戦と犠牲、内臓脂肪とヘルシア※△◆*#・・・etc.
いろんな言葉がここ何日間駆け巡り、頭の中をぐーるぐるぐーるぐる。


ふと思い返すこと、8年前・・・
静岡に帰ってきてから、ジュビロード往復で燻る毎日


あー、フットサルがちゃんとしたい!


そんな思いで悶々としている時に
磐田の某練習場でまっつんと河合さんと運命の出会い。
それからそれから・・・
練習参加の約束を結びーの、
当時は、あきさんと敬意を表して呼んでいたアッキーの車に乗せてもらい、
マリオ率いる田原FCの練習に参加した。
田原FCでのはじめの一歩は、聖地天竜市民体育館だったっけ。
大学でやってきたことがまっさらになるぐらいに感覚だったこと今でも覚えてる。
その頃、まだ前さんの背中には10番が輝き、
7番和泉は代表オーラふさふさ。
川原さんもマルシオも・・・。
相棒ムコジ合流後、怒涛のブラジル人フィーバーがあったり、
多くの選手が出たり入ったり・・・
強かったたり、勝ち切れなかったり、あっけなく負けちゃったり・・・
周りから「暗黒時代」と呼ばれていた東海2部落ちした時なんかは
試合に5人ぎりぎり・・・
(理由:前さん退場⇒新間復帰・むこじ退場⇒新間退場・前さん復帰⇒むこじ復帰)


本当にいろんな思い出がこのユニフォームには汗や涙と一緒に詰まってる。
ここで出会ったかけがえのない仲間
文字通りぶつかり合い、切磋琢磨してきた仲間との時間
フットサル人として、いち社会人としての大きな経験
本当に全てが宝物としてちゃんと胸に刻まれている。
本当に宝物。


さぁて、これからは違った環境に自分を置くことになる。
今年で32歳。早いものです。
何が一番の選択肢かは正直今はわからないけど、
後悔だけはしないようにちゃんと決めようと思う。
少なくとも練習参加や受け入れてくれようとしてくれているチームに
波紋というか波風というか異物感というか
そのチームカラーとは全く違う色の絵具を全身に塗りたくって飛び込むことを
肝に銘じ、誠意ある行動を!です。


最後に、
田原FCで出会った皆さん、
そして、ずっと応援してくださった皆さん
ハゲナガラ応援してくださった皆さん
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
これから先、田原FCの選手は、Fリーグや別のチーム、別のフィールドで
これまでの貴重な経験や感謝の気持ちを胸に秘めて頑張っていくと思います。
特にFリーグで頑張るメンバーは・・・
Fリーグを盛り上げていく使命を持って、みんなの夢を背中に乗せ、
大活躍してくれると思います。
彼らの応援、これからも宜しくお願い致しますm(_ _)m


僕もみんなに負けないようにもうひと頑張りしたいと思います!!


以上